やっぱり介護問題は深い

自宅で夫や妻(もしくは親)を介護する高齢者にとって、その負担は非常に重いらしい、という話。朝日の記事(参照)を読んで改めて大変だなと思った。ちなみに、その筋ではこういうのを「老老介護」って言います。文字通り、老人が老人の介護をやることを指した表現です。以下、この問題がなぜ問題なのか、雑感を交えてつらつらと。
この老老介護の何が問題なのかというと、老化に伴って体力は衰えるので、老人にとっての介護をするときの肉体的・心理的な負担は大きなものになってしまうということ。*1例えば、人の体を起こしたり、オムツを取り替えたり、服を着替えさせたり、風呂に入れるためにサポートしたり・・・とまぁ、介護って実は肉体労働なのです。で、こういう肉体労働ってのは、体力がある人間がやるならまだしも、体力の無い高齢者がやるとなると大変なわけです。
で、こういった世話をする人たちにしてみれば、自分の親や伴侶だから介護せざるを得ない状況に置かれながらも、一方では「もうやってらんないよ」と思うこともあるのではないかと。(今回取り上げた朝日の記事はそれをあらわしてるのだろうなぁと。)
やっぱり、介護を続けることで心身にかかる負担っていうのは、僕のような青二才には分からないくらい重たいのだろうなと思うのです。だって、自分が介護を放棄したら親・伴侶はどうしようもない状態になってしまうのですよ?例えば、オムツを取り替えなければ、自分の親は声をあげて「皮膚が痒い!!!」ということを訴えるだろうし。*2認知症のひとであれば、コミュニケーションがほとんど取れない状況で世話をしたり。さらには、いつ勝手に外出してしまうか分からないような緊張感を常に持たなければいけない状況だったり・・・。とにかく心身への負荷は半端じゃないんだろうと。
さて、この問題はどうしたら解決できるのだろうか。結局は、壮年・中年世代の子供夫婦が親・祖父母を引き取るしかないのだろうか。それとも、施設に預けるしかないのだろうか。いずれにせよ、介護を受ける本人は幸せな状況にあるのかどうか、どうやって確認するのだろうか。例えば、認知症失語症によって本人が意思表示不可能な場合、周りの人たちは彼らが介護に満足しているかどうか確認できるのだろうか(厳密には、これは老老介護に限定されない介護全般の問題だが)。
・・・とまぁ、こんなところで終了。毎度のごとく、最後は無理矢理なシメでしたね(苦笑)

追記

最後の1〜2文を微修正しました。ちなみに、僕は介護の当事者ではないのであしからず(介護については、お手伝い程度の経験しかないもので)。

*1:ちなみに、朝日の記事は心理的な負担の重さが調査で明らかになったという論調です。

*2:あなたの親・伴侶が自分の便の処理を出来ないような状況を想像してみてくださいよ。子育てでやるオムツの取替えとは違ったものがある。