「もったいない(Mottainai)」と「ほっとけない」の類似性と,その理論的な背景について

先日,「ほっとけない」は「もったいない」に多少影響を受けてるのかなぁってな趣旨の発言をいたしました。で,まぁ皆様は知っておられる方も多いでしょうが,もったいないについてとりあえずちょこっと自分の頭の整理もかねて。
平和学ってのがあります。で,ガルトゥングって人が「構造的暴力」ってことを言い出しました。で,平和の概念を「消極的平和*1」と「積極的平和*2」という二つに分類すると,構造的暴力は後者の積極的平和と対応します。つまり,貧困みたいな構造的暴力がなくなることこそ,積極的平和の達成された状況であるということです。
で,これを知っとけば,マータイ氏がノーベル平和賞をもらった際に「平和の意味が拡大した」といったことが報道された理由がわかるかと思います。つまり,かつては平和ってのはただ単に戦争や紛争がないという状態を指していたのが,いまは人権侵害や貧困がなく良好な地球環境が達成された状況のことも平和のための条件となったのだということでしょう。
以上,「もったいない」&「ほっとけない」関連のお話でした。
関連→「平和学 - Wikipedia」・「ヨハン・ガルトゥング - Wikipedia

*1:戦争がない状態のこと

*2:貧困とか人権侵害とかがない状態