「事実」と「既成事実」の違い

日経の記事(参照)を読んでふと思ったことをメモ。記事の冒頭は次の通り。


内閣府が1日発表した「薬物乱用対策に関する世論調査」によると、麻薬や覚せい剤に絡む犯罪の悪化原因(複数回答)で約8割が「繁華街やインターネットでの容易な入手」を挙げた。


これを読んで僕が思ったのは、「一般に、事実だと思われてること(既成事実)」と「実際に、事実であること(事実)」とは異なることがあるのだよなぁということ。以下、つらつらと。

調査内容へのツッコミ

この調査の詳細についてはweb上にアップされていないので不明なのだけれど、調査内容についての思いつきの突っ込みをば。
「繁華街やインターネットでの容易な入手」がドラッグによる犯罪問題を悪化させているとした場合、回答者は繁華街とネットのどちらに重きを置いていたのかが不明だなぁ。例えば、「ネットを介して知り合った人間同士が繁華街で取引をした」なんて場合は、取引を容易にした原因はネットにあるのでしょう。また別の例として「売人が、繁華街でターゲットを見つけて売りつけた」場合は、繁華街(にいる売人)が原因になるだろうし。
そもそも、繁華街という実社会でのやり取りと、ネットでのやり取りは別に切り離して考えるべきじゃないのだろうか。⇒選択肢のつくりが悪いのでは?というツッコミ

世論調査の持つ意味

以下、この種の世論調査から導き出された結果の持つ「意味」について少し考えてみます。
世論調査の結果を用いて「○○の必要性は、住民(国民)にも認識されている」とか言う人って意外といるんですよね。けど、そこで問題になるのは、「実際に○○が必要な状況にあるのか否か?」という客観的事実とのズレの有無だろうなと。
つまり、「そう思われていること」が、「実際にそうであること」と異なる場合には、やはり問題だよなぁと。世論調査の結果という「民意」を反映したものとしての政策・施策が、現実の社会状況にとって効果的であるとは限らないだろうと思うのです。
で、この「民意」が「事実」と異なる場合、政治家なり政策立案者は、どうやって折り合いをつけるべきなのでしょうか。都合の良い結果がえられた時だけ、「○○は必要だ!」と主張するための材料にするのでしょうか。それって、ほめられたものではないですよね。「都合の良い事実(と思われていること)だけ利用する」ってのは。
・・・とまぁ、以上で終了。ホントはもう少し整理してから書こうと思ったけど、時間ないからまぁいいやと。