センのArticlesのまとめ

  • "The subject of human rights has ended up being a veritable battleground" The Chronicle of Higher Education

「Universal human rights」ってゆう概念はuniting ideaなんだが、human rightsの非西洋文化圏への適用については非常に多くの議論があって、収拾がつかない。けど、これはなんでだ?
よくあるのが「clash of civilization」ないし「battle between cultures」って話で、それはよくアジアは西洋ほど人権に対する認識がないって主張する。

え?でもそんなの実際あんのか?まぁ確かに、アジア各国のスポークスマンはAsian Values(例:Confucionism=儒教)って言葉を持ち出してHuman rightsってのは西洋文化の押し付けだとかなんとかいってたりもしてたよ。

だけど結局のところAsian valuesとかWestern valuesなんてのはナンセンスなんだってば。今日あるような人権概念は、世界中のどの文明にもその起源を見出すことはできないんだ。

まず、古代ギリシアとかでもIndividual Freedomは主張されてたけど、それぐらいなら儒教でも仏教でも主張してたってわけ。
で、なによりも問題なのは、AsiaだのWestだのAfricaだのっていう意図的な分類ってのは、はっきりいってOversimple generalizationなのよ。さらに、そーゆーのはintellectually shallowだし、そーゆー議論が世界に不和をもたらしてるともいえるわけ。

で、結論。
human rightsに関する議論は現状(例:西洋・非西洋という二分論)だと現実をしっかり捉え切れてない。だから、われわれはもっと文化間の差異・文化内の差異の両方をしっかりと見つめなおす必要がある。


  • "Choosing freedom" Far Eastern Economic Review.

20世紀はじめアジアはクソ駄目だった。で、西洋がめちゃ強だった。けどアジアは日本の台頭以降、すげーradical changesを経験した。じゃあ、アジアは21世紀もこれだけの速さでchangeしてくのかな?

この問題の答えは、アジアのみんながどんなinstitutionsを選択するかにかかってると思う。
実はそのinstitutionてのは、最近はWestでdeveloped&cultivatedされてきたものなんだけどね。

どうも最近「西洋文明」とか「西洋科学技術」とか、とにかく「西洋○○」ってやつに対して何かとアンチを唱える連中がいるみたいだよね。けど、そーやって嫌われてる「西洋○○」ってのは、もともと世界中で発生したもので、別にWESTで出来上がったわけじゃないんだぜ。(たとえば、印刷技術・火薬・羅針盤なんてのは中国で発明された。)

で、今後のアジアには、FREEDOM(TOLERANCE)とか、充実したDEMOCRACYが必要なのよ。(こういう動きは過去のアジアでも行われてた。たとえばムガル帝国のアクバル帝とか、古代インドのアショーカ王のときとか。彼らは宗教的寛容政策を実施してた。)

ところで、なんでDEMOCRACYが必要なのかってーと、われわれの生活水準とかを良くしてくれるからなんだ。だから、アジアのみんなは「What?Western ○○? Oh, fuckin'!!」とかいってないで、将来のためにDEMOCRACYを選択しようぜ!きっとDEMOCRACYはアジアによい未来をもたらすんだから。

参照:セン『貧困の克服』集英社新書(上に書いたこととほぼ同じことをこの本でもいってた)




内容としては、そこまで「すげー!」っていうものはない。ただ、アジア人の西洋コンプレックスを解きほぐすのにはよさそう。どうも、西洋文明(特に米英)にたいして勝手に自虐的になる連中は多いように思うので。
今後の課題になるとしたら、以前のアジア社会ではどの程度freedomやtoleranceがまともに価値を置かれていたかを調べるといったところかと。あとはセンの『Development as Freedom』も暇なときに読むぐらいか。