「なにぃ!貴様ら役人に渡す金なんぞない!」ってことになるのはなんで?

昨年最後のエントリで予告していた、行政のCS問題について述べようかと思います。つまり、行政ってのはなんで、サービスの消費者・顧客である住民・国民の満足をあんまえられてないのか?ってことです。*1以下、いくつかの理由を考察してみました。(17日に作成)

行政サービスはほぼ独占供給だから。(「ファック・ザ・ガバメント!」および、「じゅってーむ、キャピタリズム、じゅってーむ」な立場の人が好みそうな議論。)

  1. 「サービスの独占供給⇒競争なし⇒サービスの質が低下」という論法。これは一理あります。そしてわかりやすい議論です。
  2. 行政サービスは、サービスの鞍替えができない。行政サービスは、ダメなサービスしか現存していなくても、引っ越すか移民するかしなければ、サービスを鞍替えできません。鞍替えするためのコストが高いのです。民間なら同種・同類のサービスはたいがいあるはずです。
  3. サービスの選択肢が少ない。つまり、行政サービスには多様性がない。これは、気持ちはわかりますが、そうなってしまうだけの理由があります。サービスの「公平性」とか、「公共の利益」だとかの理由で正当化できないようなニッチな需要に対しては、行政はサービスを提供すべきか否かは分かれるところです。そもそも、行政はどのようなサービスを提供すべきかなんてのは、政治や世論の都合によっていくらでも変わりますからね。

行政サービスへの料金支払いは、消費者のコストの支払い意識が高くなりやすい。

じゃあ、なんで民間企業のサービスへの支払いよりも、行政サービスへの支払い(納税)のほうがコスト負担意識が高くなるのか?

  1. 「強制徴収」だから反感を買いやすい。(ファック・ザ・国家権力!)行政サービスへの対価である税金は、国民・住民であるだけで、納税義務発生&強制徴収となります。で、これに対して、民間サービスは、サービスを受領したら料金を支払う義務が発生するだけです。つまり、民間は、消費したサービスに対してしか料金を支払う必要がありませんが、行政サービスの料金支払い義務は、サービスを実際に受領したか否かに関係なく発生するのです。
  2. 自分の納めた税金がどのサービスに利用されているか分からない。(使途が不明確。)このため、行政は自分にどのようなサービスを提供しているのかが非常にわかりづらくなってしまうのです。
  3. 個人の望むサービスと、実際に提供されるサービスとの間での乖離がある。(われわれの血税をこんなことに!)行政サービスは、納税者の個別の希望とは直接関係なしに、政治によって決定されます。よって、政治決定と個人の選好とは、しばしば乖離することになります。*2

追記(1/24)

  • そもそもサービスの提供を望んでいない。

これはつまり、俺はあんたらにそんなことをやってくれなんて頼んだ覚えはない!という論法ですね。まぁ、気持ちはわからんでもないです。自分がこれといった行政サービスの提供を受けていないのであれば、それだけ行政の必要性ってのは認識しづらくなるものでしょうし。

  • 受益と負担の関係が対応していない。

つまり、「サービスの提供を受けてない=受益なし」なのに、「サービスの料金(税金)は支払う=負担あり」ということになっているってことです。これが行政サービスの提供における一番根本的な問題かもしれませんね。このポイントがほかの論点にも影響を及ぼしている気がします。

*1:なお、ここでは、行政サービスへの満足度は低いという前提に立って話をすすめますので、あしからず。

*2:個人間での意見・利害が対立するからこそ、政治がそれらの対立を調整するのです。また、政治はそれぞれの個人の価値判断を集約・調整する機能を有しているのです。ですから、「政治」が果たすこのような機能からすると、むしろ、個人の意見が政治に直接反映されるほうが問題です。個人の意向が反映されるぎるようでは、民主的な政治が実施されているとはいえません。