データと政策決定との微妙な関係

今回のは,id:r20endoさんからコメントいただいたのでレス・・・のつもりが,長くなったのでエントリにしました。もとはこのエントリで,次が彼のコメント。途中まで引用。

日本ではHIVのように、「危険」なのに「危険ではない」とされて被害が広がってしまっ「た」ケースが多いのでお役人になった暁にはそういう上司と体を張って戦ってください。
ちなみに、こちらの新聞にはBSEがあったから日本が輸入を禁止したのに全く触れずに「けしからん、制裁だ」いうている○和党と○主党の議員の日本批判のコメントが載っていました。
往々に「科学的根拠」は政治的に歪められてしまうので、理系の友達をブレーンとして沢山持っておきましょう。。。

まず,コメントども。> こーいちさん
科学的根拠が政治的にゆがめられるってのは自覚してたんだけど,これはBSEみたいに,その問題が政治的な色を帯びてしまったらどうしようも無い部分があるなぁと。HIVについては詳細を記憶しておりませんのでコメントは控えときますが。
で,そういった(政治的な)プロセスを考慮に入れていないっていう意味では,先のエントリでの分類は,ある一時点での静学的な分類しかしていないし,政策論と結びつけるのにはだいぶ無理があるだろうね。それに,政治的なものを除外して考えたとしても,科学的根拠なんて研究が進むことによって蓄積されるんだし。


さて,閑話休題。こっから下が本題ね。
アスベストやら何やらを見ていると,ある時点で「リスクありと断言できない⇒リスクなしと判断⇒規制しなくていいや」ってなったものが,後々になって「やっぱアレはやばい⇒規制かけなきゃ」ってなるのが一番悲惨だよなぁと思うわけです。*1
ただ,科学者にしてみれば,科学的根拠が固まってきた段階で政策の是非を判断してもらうというのが理想なんだろうなと思う。でもって,これは科学者に限らず,政策決定者の役人にとっても,政策の恩恵を受ける国民にとっても同様なのかもしれない。
だけど,そういった決断が可能な環境っていうのは,マスコミレベルで危険性が問題視されてしまうとほぼ無理なわけで。それこそ,サイエンスコミュニケーションだとかリスクコミュニケーションのあるべき場所として,マスコミってのは結構悲惨な空間だなぁと思ってしまうよね。そっちの民○党や共○党のように,色々なノイズを発する主体が多くなるから(苦笑)つまり,媒体としてマスコミがダメだって話じゃなくて,そういうメディアに出る権力を持ってる人たち*2がダメだってことだと思うけど。


で,話をもどすと,恐らく最も重要な問題は,「ある政策を打つ際に,科学的根拠が十分に蓄積されるのを待っていられるのか」ということだろうと。下手をすれば,それこそ役所の得意技である「後手後手の対応」になりかねないわけで(苦笑)そう考えると,“危険性があるかないかわからない状態での政策決定”というのがどうしても求められる機会は多くなるだろうし,しかもその判断って非常に困難なんだろうなぁと思うわけです。
以上。結構グダグダでまとまってないですが,いまの自分に考えられるはこんな感じです。

*1:ここで「いや,過去のある時点でリスクありと断言できたはずだ」って突っ込みは無しよ。実際,アスベストの場合はリスクが確実であったようだけど。

*2:マスコミの中の人も含め。