政策なんて,理念云々じゃなく,もっとドライに考えたほうがいいんじゃない?

ブログ時評さんとこの,このエントリ→首相が目指す国家を語れないで反対説得は無理で引用されていた文章が気になった。内容は次の通り。

どうして同志ができないか。それは小泉改革が改革の必要性を説くばかりで、結局のところ、どんな国にしていくのか、目指す中身を語れないことにも原因がある。銀行、大学、高速道路、郵便局……と既存制度を壊した先に生み出す新しい姿を、小泉首相は語らない。民間にとか市場にとかしか言葉は現れない。大蔵族トップの強迫観念として改革を語っているだけなのだから、新しい姿を持っているはずもない。私はいつかは語り出すのではと忍耐強く待ち続けたあげく、「丸投げ」の連発を見て、やはりと諦めた。

なんか,「政治家たるものは理念をもって国政に携わるべき。ましてや,一国の長である総理大臣たるものは…」ってな雰囲気ですね。けど,こういう言説には非常に違和感を感じてしまいます。少なくとも,郵政はコストベネフィットでざっくりと斬れるだろうと。価値観によって左右される類の政策だったら,それだけで是非を問うことはできないのかもしれないけど,郵政は価値観云々が絡む分野とは違う。だから,民営化するに足るだけの合理的な理由があるならば,その後の国の姿がどうのこうのなんてのは関係の無い話のはずであって,国の姿とかいう曖昧で,適当な言葉を使うのはどうかと思うのです。つーことで,めんどくさくなってきたので考察は以上。