科学者の誠実さと科学的根拠の政治的判断

毎日の科学担当記者,元村有希子さんのこの記事→「誠実さという弱み」が気になったのでメモ。
以前,政策に求められる科学的根拠の話をちょっとしましたが,それとも多少関連するかなぁと。これです→http://d.hatena.ne.jp/kujo-qtaro/20050719
今回のは,要するに,ある物質とかが危険かどうか,科学的根拠の観点からは判断がわかれる場合に,その物質に対して規制をかけるべきか否かを判断するための前提条件ってどうなってんのよって話です(んー,われながら表現がわかりにくいなぁ)。

ということで,頭の整理をするため,いくつかのケースわけをしてみました。表現がわかりにくいとは思いますが,そこそこ厳密にしたかったもので。まぁ,結局間違ってるかも知れんけど(苦笑)

  1. 規制すべきだと即決できるケース
    • 危険性があると断言できるだけの根拠がある。かつ,危険性が無いと断言できる素材が無い。
  2. 規制すべきではないと即決できるケース
    • 危険性があると断言できるだけの根拠が無い。かつ,危険性が無いと断言できる素材がある。
  3. 規制すべきかどうか即決できないケース
    • 危険性があると断言できるだけの根拠が無い。かつ,危険性が無いと判断する素材が無い。
    • 危険性があるとは断言できないが,それなりの根拠がある。かつ,危険性がないと断言できないが,それなりの根拠がある。



さて,今回BSE規制で問題になってますが,これはおそらく最後のケースに該当してるからだということでしょうね。これを一般化すれば,社会においてこういった類の議論の対象となるのは,規制すべきかどうか即決できないケースに該当するためだということですね。つまり,役人としては,最後のケースが政策課題になった場合に,最も苦労するという(苦笑)
まぁ,こうやって整理してみると,思いのほか当たり前のことで,それほど新鮮味がないね。せっかくがんばって頭の体操したのになぁ〜。なはなは。
んー,それにしても,この分類はきれいな表にした方がわかりやすいだろうなぁ。自分でもあたまがごちゃごちゃしてくるし(苦笑)
とりあえず,今回はこれだけです。