フロイトはトンデモでした

今回は,フロイト(と精神分析派)の業績は科学として認められないということを指摘した,H.J.アイゼンクの『精神分析に別れを告げようフロイト帝国の衰退と没落(ISBN:4826502281)』という本について。
フロイトといえば,「独自」の概念を大量に編み出した人です。例えば,無意識,超自我エディプス・コンプレックス…などは彼の手によるものです。
しかし,それら「独自」の概念は,実際にはフロイト以前の研究者も同じことを言っていたり,まったくのデタラメな主張であったりします。つまり,フロイト自身の手による業績は,先人が既に作り上げていたものの焼き直しであったり,科学的な手続きを無視した似非科学だということです。このことを指摘したのが本書です。
アイゼンクによれば,心理療法,精神療法の発展を半世紀近く遅れさせたのがフロイトと,その信奉者たちなのだそうです。精神分析による精神療法は,ほとんどが無効であるか,有害でさえあるそうです。少なくとも,精神分析療法よりも行動療法(行動分析学の知見に基づく治療方法)の方が効果的であることが実証されているのです。
そこで,アイゼンクは,本書の最後で,フロイト精神分析から離れて,科学的な発展性のある学問に基づいた心理療法,精神療法を実践していくように呼びかけています。僕は特に,この最後のくだりにしびれました。


ちなみに,フロイトが科学でなかったとしても,アートとしては重要だと考える人もいるかもしれません。アイゼンクもその点については譲歩しています。この本はあくまで科学としてはダメだということを指摘するにとどめているのです。
僕も,確かに,アートとして割り切るならそれはそれでよいのかなとは思います。けど,思想とか哲学を語る時に,精神分析の用語をもちいたとしても,学術的な価値はあるのかどうかよくわからないです。そういう論考は,妄想空想の域を出ないような気がしなくもないです。だって,精神分析が言ってることは事実じゃないんですから。
僕の立場は,精神分析が好きな人はご自由にどうぞって話です(科学を標榜しないという条件付ですが)。文章を「高級」なものにするためには,精神分析一派の単語は必要かもしれませんからね。
ということで,今回は以上で。